慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

物を「大切にする」ことと「執着」との違い

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 慈雲寺の先代、凖眞上人さまがお浄土に還られてから、もうすぐ1年になります。一周忌にはご縁のあった方々をお招きして法要をいたしますので、そろそろ準備にかからなければいけません。先代さまが残された遺品の整理、法務用の事務の整理など、やらなければならないことは山積みなのですが、正直、この一年、ほとんど進んでいないのが現状です。

 私は一昨年の夏に凖眞さまの弟子にしていただいたばかりだったので、直接教えを受けるチャンスがほとんどありませんでした。ですから、どこに何があるのか全くわからないまま、慈雲寺を引き継いだのです。凖眞さまは物をとても大切になさる方のようで、老眼鏡だけでも50近くでてきました。これだけたくさんあるのなら、どこかでリサイクルできないものかと調べたりしていると物事が進みません。書類も凖眞さまがいろいろと考えて整理していたのでしょうから、その手順や順番などを想像しながら整理していくと、これもなかなか先に進みません。

 仏教はものごとに執着すればするだけ自分が苦しくなると教えています。ものを手放す勇気が大切です。しかし、一方では浪費するのではなく、ものを大切に使うことの大事さも教えています。「大切にすること」と、「する執着する」ことの違いはどこにあるのでしょうか?

 やはり僧侶はできるだけ持ち物を少なくして、身軽である方が良いでしょう。一年が過ぎたら、少しずつ先代様のものも、自分のものも片付けていきたいと思っています。まずは50本のメガネを寄付できるところへ持って行くつもりです。

・今日の写真はカナダの西海岸にある小さな村の博物館で見たガラス瓶です。海に流れ着いた瓶やアンティークのガラス食器を集めるのが趣味だった人が寄付したそうです。古いガラスを通る太陽の光は温かみをおびて柔らかですね。これもきれいに飾れば「ゴミ」ではありませんが・・・・