ご近所のため池の周辺に植えられた桜です。もう散り始めたかと思ったのですが、なんとか週末までは見ごろが続きそうです。
さて、先日ある方が「私は家族のために我慢に我慢を続けているのに、少しも状況が良くならない」と悩んでいる方がいらっしゃいました。
仏教は「忍耐」を非常に大事なこととみなしていますが、「我慢」を勧めているわけではありません。我慢と忍耐は似ているようで、実は全く違うものだからです。
仏教は、状況をしっかり見極め、相手の言うこともじっくり耳を傾け、その上で自分の意見をしっかり述べることを「正しい態度」と教えています。
問題の本質を見極め、問題の原因を追究し、改善できること、互いに妥協できること探す。それまではしっかり忍耐力を持って対応するというのが仏教的な問題解決です。
一方、「私さえ我慢すれば、とりあえずこの場はおさまる」という態度では、問題はけっして解決しません。しかも、我慢している人間は、自分の「自己中心的な考え」を捨てたわけではなく、心の奥にため込み続けているのです。「私がこんなに我慢しているのに、誰も気づいてくれない」「誰も褒めてくれない」「だれも私を助けてくれない」・・・・・ため込んだ「我慢」は「怒り」になって発酵を続け、やがて爆発してしまうかもしれません。体の不調になって現れてくる人もいるでしょう。
「自分ばから理不尽に我慢させられていいる」という気持ちに気が付いたら、実は自分勝手な生き方なのでは?と自らを振り返ってみてください。
耳をふさいで体を丸めてしまうのではなく、周囲をよく見て、相手の気持ちにも心と耳を傾け、そして自分の意見もきちんと言っていきましょう。簡単なことではないかもしれませんが、小さなことからでも解決していくのがおすすめです。