とても気持ちの良い秋晴れが続いています。昨日は絶好の自転車日和。有松の町に用事があって、鼻歌を歌いながらニコニコでペダルをこいでいました。桜の葉がきれいに紅葉を始めたのも素敵・・・なんて、思っていたら道端に変な看板発見。
「事故、病気、借金などの不幸の七割は水子の祟り。」と下手な字で書いてあります。「7割って、なんの統計やねん?!!」と思わずおかしな関西弁になってしまいました。どうやら、近くのお寺(?)で水子供養をやっているようで、その看板のようでした。あまりにも情けない看板に、驚愕とうんざりする気持ちでハンドルがブルブルしてしまったので、いったん停まって呼吸を整えなければなりませんでした。
あんな脅しになんの意味があるのでしょう?さまざまな理由で水子になってしまった子供の供養をしようという気持ちは大切です。慈雲寺でも先日、流産を経験なさった方のご家族と一緒に丁寧に読経させていただきました。
丁寧な御供養をすることで気持ちが落ち着き、哀しみが繰り返されないように、どのような行動が適切なのかが見えてくれば、御供養の功徳というものです。
しかし、自分に都合の悪い状況が起きたら、「水子が祟る!」といって、水子のせいにしてしまうというのは問題の解決にはなりません。読経や儀式で「祟り」を追い払ったり、押さえつけたりしても、問題の本質は見えてこないからです。
仏教では悪い行いには悪い結果、善い行いには善い結果が起きると考えます。正しい行動と考え方が良い結果を生むのです。これが基本的な考え方。でも、末法に生きる凡夫の私たちは、善業を積み重ねることはなかなかに難しいですね。阿弥陀様はそんな私たちもけしてお見捨てにはなりません。
水子のことが気にかかるという方は、ご自宅の仏壇でも、お寺でも御供養をするのをおすすめします。しかし、祟りとか不幸という言葉を振りかざして脅してくるような宗教者とかかわるのは避けた方が良いでしょう。
◎今日の写真はカナダ西海岸の先住民のコミュニティです。左の木造の建物は、伝統的なビックハウス(集落の中心になる建物)ですが、今は「ウミスタ」という博物館になって」います。