慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

このブログの目的 Part 2  尼僧志願の方を受ける側の事情 その4-1

f:id:jiunji:20210214213620j:plain

宇治の平等院で見た蓮の華です。寒い時は夏が少しだけ恋しい

 

 東北に強い地震があったと聞きました。東京の実家や友人たちからも、かなり揺れたという連絡をもらいました。まだ余震が続いている地域もあるとか、みなさまのご無事をお祈りしています。

 

 さて、「尼僧志願の方を受ける側」、寺院や師僧となる僧侶の側の事情について書いてきました。最後に私の事情や思いについて書いてみたいと思います。

 

 かつて證空上人が法然上人に弟子入りを願ったとき、法然上人は「私の弟子になっても、お寺もその他の物も譲り渡す相手が決まっています。貴方には何も譲ってあげられないですよ。」と言ったそうです。弟子に入るということは、寺院や書籍、衣、仏具などを将来譲られるという前提があったのでしょう。しかし證空上人は、「そんなものが欲しいのではない。私は教えを求めているのです。」と答えたそうです。

 これを聞いた法然上人はとても喜んだと伝えられています。

 最初にも書きましたように、私は弟子に教えられる知識や技術と言った面での「手持ちのカード」がとても少ない、情けない僧侶です。こんな者でも尼僧として生きていくことができる・・・と言うことを示すサンプルとして存在価値は少しはあると思うのですが、私のような者の弟子になってくれというのは申し訳ないというのが本当の所です。

 私が弟子になって下さる方にできることと言えば、一緒に仏の教えを学んで行こうという気持ちが第一でしょう。学歴は関係ありませんが、学び続ける意欲や知的好奇心が旺盛な方を歓迎したいです。中卒ならまず高校へ、また大学や大学院に行きたいなら経済的にも応援したいし、一緒に学ぶ仲間になって欲しい。

 私が弟子に求めるのは、仏教徒であること、少なくともお釈迦様の教えに興味を持ち、浄土教の教えに惹かれている人が望ましいです。それ以外のことは、二の次、三の次です。

 私は説教師として経験を積み重ねていこうとしていますから、お説教師としての基礎知識を教えることは少しできると思います。この方向に興味のある方なら、私が手渡せるものもあるかもしれません。(つづく)